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原町から日立(浪江、富岡、いわき、小名浜、なこそ、高萩経由)
この区間は私の肉体にとって今までで最悪のものでした。私の身体の状態は歩く気持ちとは裏腹に、急激に悪化していくばかりです。もしかしたら歩く野心を過信してしまったのか、又は何かに感染したように思います。良く判りません。少し動くだけで異常な汗を掻き、時には30分間隔で休みながら下着を乾かす程でした。更に皮膚が赤くなり、眼もどす黒く潤んで濁っていました。視界が狭まり、頭痛がしました。最初は心配になり、コーヒー、お茶や熱いスープを飲むのを止めました。暖かいものを口にする度に、何時間も汗を掻いてしまうので、氷水に変えることにしました。今の症状を家に連絡しようか悩みました。しかし余分な心配を掛けるだけですし、返事が来るまでにまた元気になっているかもしれませんので諦めました。
このような状態で歩くのは全く面白くありませんが、大きな喜びが私を駆り立てています。本当に不思議です。

富岡のホテルに到着した時は、冷たいシャワーとベッドだけが欲しくなりました。だけど今はそれを諦める事にしました。それは部屋に入ると、想像できる限りの最高の眺めが目の前に広がっていたからです。300m先には太平洋があり、まるで天国のようで、いつまで見てても飽きないくらいでした。窓を開け、カーテンを開け、椅子を窓の横に置いて、この状態で何時間も座って、聞いて、見て、海の香りを嗅ぐ事が出来ました。
富岡は夢のような町ではないでしょうか。大海の前の大きな町、その前に列車の線路。ここを通り過ぎる郷愁、幾つもの別れの涙や遥かな所への憧れ。富岡は涙の町ではないでしょうか。いくら見ても飽きが来ません。
薄暗くなってきてからやっと書き始めたくなりました。しかし夜の海に航路標識等が見え、幾度も回ってくる灯台の灯火を数え、遥か地平線の船舶が南や北に向かい、緑や赤色が見えてきました。
どうしましょう、富岡は本当に涙の町です、私にとってもそうなりそうです。
今すぐにでも家に電話をして聞いてみたくなりました。「再来年既に予定ある?」って。

いわき市に到着した時はびしょ濡れでした。チェックインするまでに少し時間が空きましたのでショッピングセンターに向かい身体を乾かしました。隅のベンチに座っていると、また見せ物になってしまいました。皆こちらを向きますが、誰も見ていない振りをします。今は疲労が酷いので、この位の事ではまだ逃げる気にはなりませんでした。それが良かったのです。二人のおばあちゃんが私の横に座り、全く物怖じする事無く挨拶をしてきました。

原町から日立(浪江、富岡、いわき、小名浜、なこそ、高萩経由)_d0095604_19594458.jpg


私は(後から聞きましたが81歳の)年上の方のおばあちゃんがいかに早く3本のタバコを吸っていたかを見ていて、感激のあまり笑ってしまいました。

原町から日立(浪江、富岡、いわき、小名浜、なこそ、高萩経由)_d0095604_19595788.jpg

それだけでもう楽しい会話が始まりました。我々どちらも相手が何を言っているのか判らず、混乱した30分が過ぎていきました。二人のおばあさんは買い物に行くので、別れる前にこれからの為にと、お弁当を買ってくれました。

このお弁当は勿論翌日なこそに向かう途中、喜んで頂きました。しかし疲れきった身体は精神にも影響し、今している事全てを疑問視し始めました。
更に全く違う反応をする人達が気になっていました。昨日のような優しい素直なおばあさん達に対して、今日はカフェで横のテーブルに私が座ると席を移動してしまったおばさんがいました。このような時の気分は最悪です。孤独感に襲われ、全てやっている事が馬鹿げて感じてしまい、止めようもないホームシックに掛かってしまいます。もし今チケットが手元にあれば・・・・。このような事態を想像していました。私のチケットは東京のオガさんの所にあります。これで良いのです。
原町から日立(浪江、富岡、いわき、小名浜、なこそ、高萩経由)_d0095604_2001366.jpg


緑、静寂と自然への渇望


この区間の最終日は日立までです。またしても台風の影響を受けてしまいました。雨が降って荒れていましたので、今日私を待ち受けているものが想像つきました。帽子を被り、雨具を着て、フードを鼻の所まで引っ張り、いざ出発。

最初の30分で足が濡れました。ウォータープルーフ(防水)と書いてあっても、必ず足が濡れないとは限りません。またゴアテックス(防水加工の代名詞)と書いてあるタックがあっても、内容は保証されていません。そして雨具は45分持ちましたが、雨を吸い込むので雨具というのでしょう。やっと判りました。びしょ濡れですが、そのように思うと非常に気楽に歩けました。
幸い自分自身は節穴がないので安心ですが、一部の読者はそうではないと思う人もいるのではないでしょうか。

日立のホテルに到着した否や、受付でまずタオルと宿泊の料金表を非常に丁寧な感じで受け取りました。隣にいたピンストライプのスーツを着た3人のビジネスマンと私は同じ扱いをして頂きました。彼らは私を見えておりませんでした。

その後アジア風のペアが受付にやってきて、私と同じような言葉の障害がありました。私と同じように、小さな絵を書きながらインターナショナルな言葉や動作で意思の疎通を図っていました。

困惑のあまり、受付の人が私に中国語が話せるか聞いてきました。
これは愉快だ!世の中いろいろありますね!!

原町から日立(浪江、富岡、いわき、小名浜、なこそ、高萩経由)_d0095604_2002856.jpg

by lothar_diary | 2006-11-12 19:57 | 東海
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