八幡浜から開門(臼杵、{福岡}、佐伯、延岡、宮崎、鹿児島経由) |
今日は私の四国での最後の日と同時に、九州で最初の日になりました。 私は今回フェリーで臼杵に着いて直ぐ南に歩き始めるのではなく、一旦そこから150km程北にある福岡に移動するので特別に喜んでいます。相当前からこの日を楽しみにしておりました。私はそこでHさんと会うことになっています。私の日記の多くを彼に日本語に訳してもらっているのです。 旅の途中、彼とは幾多にも渡るメールのやりとりをしました。彼のドイツ語は完璧です。ドイツで23年間生活したので読み書きは勿論、初めての電話でも判りましたが、私の知っているドイツ人よりもドイツ語を母国語のように話します。 初めて会った時から気が合いました。まるで長年会わなかった旧友のようだと後からHさんは言っていました。ここで改めて彼に翻訳の作業や私と会ってくれた事、そして様々な日本の特徴について教えてくれた事でお礼を申し上げます。 そして極めつけは、彼は素晴らしくゆっくりとした北ドイツの方言で話してくれました。 Frau Frau(女性女性)は勘違いしてしまう、でも私にもまともなサービスをしてくれました。 後日延岡で私を襲ってきました。 後一週間もすればゴールします。気が楽になり、郵便でもう必要としないものを送り返しました。カフェに入っている間、外はドシャ降りになっています。帰りの事を考えている時に突然泣き出してしまいました。 とても気持ちがいい状態になりました。どんな旅でも得るものはあり、それを持って帰るのです。そして自分の一部をそこに置いていくものです。私はそれがいいのです。 混雑しているカフェの中、幸い誰にも泣いている所は見られなかったと思います。それに私は目に何か入ったかのように振舞っていました。男ですから。 その後の数日間はもう疲れがピークに達し、「体験する」という事ができませんでした。もう本当にゴールしなければならない状態でした。肉体と精神が終わる事を決めてから、周りで起きている事は一切目に入らなくなりました。撮る写真も無理やりで、つまらないものになってきました。全てが完結してしまっている感じがしました、そして勿論私の身体も反応してきました。腿の付け根が負担を掛けた後に痛んできました。 最後の観光は鹿児島でしました。私の数日後の帰国の途もそこから始まります。翌朝ミスター・ドーナッツで朝食を取りました。そこでやっと待ち望んでいたミスター・ドーナッツ・パスカードが貰えました。それによって何の資格を得たのか全く判りませんし、その細かい説明も全く判りませんでした。それでもなんとなく今からミスター・ドーナッツ・サークルの一員である感じがしました。 私の旅の終点、霧に包まれた開聞岳 ローカル線に乗って九州の南端の開門に向かい、開聞岳で別れを告げようと思いました。この最後の30kmはもう歩けませんでした。山は霧雨で霧に覆われていて、ここから元々私のゴールであった南東に直線距離で約25kmの佐多岬は見えず想像するしか出来ませんでした。そこに辿り着くにはあと100km程鹿児島湾を回るしかありませんが、今の私には長い休息を入れずにはもう不可能になってしまいました。 旅の終点、開門の駅にて 開聞駅で列車を待っている15分間はここ数ヶ月の間、一番寂しい時間でした。 春に突発的にこの旅を決断しましたが、これで旅は終わりました。 その後、数日間は休養をとり、やっとドイツに帰る飛行機に乗れました。 沢山の経験、印象と新しい体験を整理するには何週間と掛かりました。 新聞社のインタビューがあとあり、そこで次はどこに行くのか聞かれました。それについてまだ早すぎて答えたくありませんが、これだけは言えます・・・・・・一人で歩いて旅をします! 最後に私の日記に興味を持って頂きました、忠実で辛抱強い読者にお礼を申し上げます。 その中には、後半の区間で書いた私の文章のスタイルがたどたどしくて短く感じられた方も多かったかもしれませんが、その通りです。私にとって少し時間が開いてしまったため最初のスタイルを維持する事が難しくなってきたのです。更に長期間不在だった為、このような作業を休日にしか出来ませんでした。そしてその殆どの時間と労力はもう既に発表しています本に費やしていました。それによって皆さんの不満を解消出来ると期待しています。多分近い将来出るかと思います。 そして本当に最後のお別れです。少し心が重く、それでも次の旅でまた皆さんに会える希望に喜んでいます。 日本で学びました: 決して「さよなら」とは言わない事!! |
by lothar_diary
| 2007-06-18 17:52
| 九州
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