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八幡浜から開門(臼杵、{福岡}、佐伯、延岡、宮崎、鹿児島経由)



今日は私の四国での最後の日と同時に、九州で最初の日になりました。
私は今回フェリーで臼杵に着いて直ぐ南に歩き始めるのではなく、一旦そこから150km程北にある福岡に移動するので特別に喜んでいます。相当前からこの日を楽しみにしておりました。私はそこでHさんと会うことになっています。私の日記の多くを彼に日本語に訳してもらっているのです。
旅の途中、彼とは幾多にも渡るメールのやりとりをしました。彼のドイツ語は完璧です。ドイツで23年間生活したので読み書きは勿論、初めての電話でも判りましたが、私の知っているドイツ人よりもドイツ語を母国語のように話します。
初めて会った時から気が合いました。まるで長年会わなかった旧友のようだと後からHさんは言っていました。ここで改めて彼に翻訳の作業や私と会ってくれた事、そして様々な日本の特徴について教えてくれた事でお礼を申し上げます。
そして極めつけは、彼は素晴らしくゆっくりとした北ドイツの方言で話してくれました。


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Frau Frau(女性女性)は勘違いしてしまう、でも私にもまともなサービスをしてくれました。




後日延岡で私を襲ってきました。
後一週間もすればゴールします。気が楽になり、郵便でもう必要としないものを送り返しました。カフェに入っている間、外はドシャ降りになっています。帰りの事を考えている時に突然泣き出してしまいました。
とても気持ちがいい状態になりました。どんな旅でも得るものはあり、それを持って帰るのです。そして自分の一部をそこに置いていくものです。私はそれがいいのです。
混雑しているカフェの中、幸い誰にも泣いている所は見られなかったと思います。それに私は目に何か入ったかのように振舞っていました。男ですから。

その後の数日間はもう疲れがピークに達し、「体験する」という事ができませんでした。もう本当にゴールしなければならない状態でした。肉体と精神が終わる事を決めてから、周りで起きている事は一切目に入らなくなりました。撮る写真も無理やりで、つまらないものになってきました。全てが完結してしまっている感じがしました、そして勿論私の身体も反応してきました。腿の付け根が負担を掛けた後に痛んできました。

最後の観光は鹿児島でしました。私の数日後の帰国の途もそこから始まります。翌朝ミスター・ドーナッツで朝食を取りました。そこでやっと待ち望んでいたミスター・ドーナッツ・パスカードが貰えました。それによって何の資格を得たのか全く判りませんし、その細かい説明も全く判りませんでした。それでもなんとなく今からミスター・ドーナッツ・サークルの一員である感じがしました。


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私の旅の終点、霧に包まれた開聞岳

ローカル線に乗って九州の南端の開門に向かい、開聞岳で別れを告げようと思いました。この最後の30kmはもう歩けませんでした。山は霧雨で霧に覆われていて、ここから元々私のゴールであった南東に直線距離で約25kmの佐多岬は見えず想像するしか出来ませんでした。そこに辿り着くにはあと100km程鹿児島湾を回るしかありませんが、今の私には長い休息を入れずにはもう不可能になってしまいました。





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旅の終点、開門の駅にて


開聞駅で列車を待っている15分間はここ数ヶ月の間、一番寂しい時間でした。

春に突発的にこの旅を決断しましたが、これで旅は終わりました。

その後、数日間は休養をとり、やっとドイツに帰る飛行機に乗れました。
沢山の経験、印象と新しい体験を整理するには何週間と掛かりました。

新聞社のインタビューがあとあり、そこで次はどこに行くのか聞かれました。それについてまだ早すぎて答えたくありませんが、これだけは言えます・・・・・・一人で歩いて旅をします!

最後に私の日記に興味を持って頂きました、忠実で辛抱強い読者にお礼を申し上げます。
その中には、後半の区間で書いた私の文章のスタイルがたどたどしくて短く感じられた方も多かったかもしれませんが、その通りです。私にとって少し時間が開いてしまったため最初のスタイルを維持する事が難しくなってきたのです。更に長期間不在だった為、このような作業を休日にしか出来ませんでした。そしてその殆どの時間と労力はもう既に発表しています本に費やしていました。それによって皆さんの不満を解消出来ると期待しています。多分近い将来出るかと思います。

そして本当に最後のお別れです。少し心が重く、それでも次の旅でまた皆さんに会える希望に喜んでいます。

日本で学びました:  決して「さよなら」とは言わない事!!
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# by lothar_diary | 2007-06-18 17:52 | 九州
川之江から八幡浜(新居浜、西条、今治、松山、内子、大洲経由)



この区間のある町(名前は書かない事にしておきます)を通りかかっている時にまるで迷子になった宇宙人のようでした。このような状況は今までの旅路では見たことがありませんでした。全ての見慣れぬ珍しい多彩さ、可愛らしい町や工場が印象深い町など、色々な物が道中にありました。しかしここはどうでしょう? 私は今までこれほど孤独に感じた事はありませんでした。全てが必要以上に広く、道幅も広く、整地された土地、コンクリート。機能的で全て新しい建物だけど人影が無い。全てが整然として、綺麗で、新しい、遠いところまで見渡しても人影が無い。目指す所もなく、オアシスもない、島もない、何も無い。人影も無く、空である。軽食を取りながら、ここでの生活水準や、特に若い人達の将来性等を考えていたら、充実した生活が出来るか疑問に思っていたところ、ある若い男性が入ってきて私の考察を終えてしまいました。彼のTシャツに黒字で大きくRESIGNATION(諦め)と書いてありました。

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ある寺院の墓地

しかしこの出会いはこの数日間の唯一の出会いではありませんでした。奇妙で考えさせられる出会いが続きました。今治での朝食の時です。ある孤独で怒っていそうな(勿論)アメリカ人が1人でテーブルに座っていました。こちらの方に向いて私を認識してくれただけでも有難く思いました。頭を少しうなずくように上下して挨拶を交わしましたが、その後朝食を食べている間は私の中を通り越して見ていたようです。ここでの雰囲気を非常に悪く表現していたと思いました。もし上手に表現できていれば私を全く認識しなかったはずです。もう少し訓練が必要だったのでしょう。

私はこのような事を怒っているから書いているのではありません。しかし私にとって良く目立つのが、ここで出会う欧米人が、この古来の日本人の特性をあまり下手に真似ているからです。いつも無理やりに澄ましている感じがして、真似ているようには見えないくらい滑稽です。何故このような行動を取るのか私には永遠の謎です。何故なら彼らと話す機会が全くなかったからです。
いや、ありました。(バッグについていた国旗によってわかりました)ニュージーランドの人に私が一言問いかけようと思ったとき、“enjoy your trip”(旅を楽しめよ)という短い言葉を掛けてくれました。

その出会いとは全く違って、ある日本の女性がエレベーターの中で私に全く接触不安もなく話しかけてきた時です。1年間ロンドンで過ごした事もあって英語が上手でした。お互い少し時間があったので、私がいろいろ苦労した事について冗談交じりで話し込んでしまいました。私の体験をダシにいろいろなジョークが交わされた楽しい会話でした。そして最後に私の楽しみが待ってました。彼女に英国での食生活について聞いた所、説明しがたい表情で良くそこまで顔をしかめる事ができるなと言うほど酷い表情をしてました。


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今治城、侍要塞


松山に出発する前に今治城を見学しました。堂々として、見る価値のある再構築された侍の要塞です。その後また旅の途中で道に迷ってしまい、気分はどん底まで落ちました。
自分を慰めようとピザを食べました・・・・そして1000度熱いチーズで口の中を火傷してしまいました。口の中の水泡があまりにも大きく、口を開けながら歩かなければなりませんでした。
そして追い討ちを掛けるように、年老いた男性が突然近づいてきて、私を見つめて足元につばを吐いて行きました。あまり歓迎されている感じがしなくなりました。しかしこの程度で良かったと私は思いました。私のリュックサックの国旗を見て突然手を上げて(ヒトラーの)挨拶をされるよりは大分良かったと思います。これで彼は自分の国を守り報復した幻覚で生き続けることが出来るでしょう。また旅路を急がなければと感じました。

そしてとうとうはっきりと気持ちが出てきました。もう疲れた。もうだめだ。自分を駆り立てる気力が無くなってきました。強い精神力が切れない剣になってしまいました。もう、一度には5キロ以上歩けなくなりました。休憩の時間の方が歩いている時間より長くなってきました。そろそろ旅の終わりが近づいてきたようです。


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もうだめ
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# by lothar_diary | 2007-05-29 11:06 | 四国
和歌山から川之江(徳島、かもぎま、美馬、つるぎ、池田)

この区間は控えめに表現してガタガタでした。ホテルの部屋が今までの中で一番小さく、本当に小さくて、どうしたらこのような設計が可能か疑問にも思いました。設計図上では多分壁の線の太さの方が部屋を表す空間より幅を取るのではないでしょうか。私はベッドに座りながら反対側の壁の傾いた絵を直す事が問題なく出来ました。「バスルーム」も同様に最低限のスペースにバスタブとシャワー、洗面台に便器があります。これはまるで曲芸のようです。
翌朝シャワーを利用する私の意欲的な試みも、誰にも見られてはいないのですが、一人で馬鹿騒ぎをしているようでした。身体を洗う時に頭や腕を何度も壁にぶつけてしまい、隣の人に助けを求めて叩いていると思われてしまうのではと心配してしまうほどでした。シャワーのカーテンも身体に広範囲にべっとりくっ付き全然濡れることができませんでした。最悪な状態を回避する為に深呼吸して落ち着き、そして最後に諦めるという賢い判断もあるという事に気がつきました。
失敗したシャワーの後すぐ出発することにしました。早く出発したのはバスで全く場所が判らないフェリー乗り場まで移動したかったからです。私の地図ではそこまでの詳細は判らないのです。
三人の制服姿の男性にバス路線と目的地を聞きました。バス路線については2度同じ数字が聞き取れました。そして三人目の男性はそれを紙に書いてくれました。
この小さな宝をもってバスの行列を1台1台運転士にこれを見せながら聞いて歩きました。
何度かの試みの後、運転士のはっきりとしたうなずきと招き入れる動作が帰ってきました。ここまではどうにか到達しました。
30分ほど走った後、運転士からのうなずきの合図が他の乗客を介して私のところまで辿り着き、目的地に到着したので降りる合図だと判りました。これで無事に到着する事が出来ました。
出発まで1時間半も早く着いてしまったので自販機のコーヒーを飲んで待合室でくつろぐ事にしました。しかしそれは無理でした。また非常に強い刺激の氾濫に遭遇してしまいました。日本人は何故このような状態で平然としていられるのか判りません。前、後ろ、横、全ての壁に隙間なく物凄い騒音とキラキラ光る明かりを発しているゲーム機が並んでいます。どのゲーム機も他の機械と競って音と視覚でお客に訴えているように感じます。そして更にその上にかなり大きい上うるさい1台のテレビが君臨していました。周りの人は全てくつろいでテレビを見たり新聞を読んでおりました。どうすればこのようになるのでしょうか。私には最後には(正確には10分後に)逃げるしかありませんでした。
フェリーの中では以前本州に渡った時と同じような驚きを感じました。全てが床の上で行われます。私にとって椅子やテーブルを見付けられない事は非常に違和感を感じました。しょうがなく私も隅っこで床に座り、こういう時の為に用意されている周りの棚にあるクッションを使って背中、お尻と頭に当て、四国に向かいました。北海道に次ぐ私にとって二番目の島、そして日本で一番大きい島である「本州」を離れました。



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全て床の上で過ごすのは慣れが必要であります。


私の四国のイメージは、一番小さい島でもあるので、そのように静かでもあると思っていました。しかしこれは全くの見当違いでした。同じような交通量、それに伴い同じような騒音、そして同じように沢山の人。旅人としてもう3ヶ月も同じような刺激の氾濫に遭遇し続けてます。
私はここの建築様式が他とは違うという感じを受けました。ここでは本州の建物とは違って、昔の状態を保存されているように感じました。そしてパリのル・コルブシエール風建築様式をも想像しました。しかし違いは建物のイメージを支配する贅沢な装飾を持つ屋根造りであります。

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堂々とした屋根は私にとって常に注目の的です。


神経をすり減らすような出会いと気持ちの良い出会いはいつも背中合わせであります。ここ四国では沢山の巡礼者との心地よい出会いがありました。日本では有名な88箇所の寺を巡礼する1200kmにも渡る旅に参加している人達です。これは非常に魅力的な事であり、もう既に2000kmも歩いてそろそろ力が尽きてきている状態でなければ、この巡礼に参加する事を真剣に考えると思います。
数日後つるぎのとある公園でそれを実行しようと思いました。ここは素晴らしい場所で、静寂で、陰のあるベンチもあり、数時間くつろぐ予定でいました。5分後突然泥酔した人が私の観光案内を名乗り出てきました。全く不可解で距離感も保てず、お酒の魔法ですが、私にしゃべりかけてきました。しかし私がドイツからきたという事を理解したら完全に政治的解釈で脱線してしまいました。彼は知っているドイツ人の名前を列挙し始めたが、それは過去の恐怖内閣の物でありました。私は気持ち悪くなりました。これからは全てドイツ語しか話さない事にしました。声を高くして休まずしゃべり続けました。
これは大変ではありますが、彼に対しては決していい態度ではありません。しかし効果はありました。多分面白くなくなったのでしょうか、私のところから離れていきました。彼の一日を台無しにしてしまったでしょうか。私は自分を慰めました。自分の方より彼の方で良かった。


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ある綺麗な公園でご褒美の休憩

その後川之江まで二日間素晴らしい旅日が続きました。そこでまた休日を取らなければなりませんでした。力が無くなっていくのが非常に強く感じてきました。
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# by lothar_diary | 2007-03-27 01:40 | 四国
鳥羽から和歌山(伊勢、松坂、久居、名張、橿原、五條経由)


今日は明日に控えている伊勢までの区間を非常に楽しみにしています。それはまず地図上に本線に平行している交通量の少ない裏道を見つけた事と、そしてまたオガさんとカズハさんと待ち合わせをしているからです。道の選択については、私の地図では緑色で距離表示がないものでしたが、結果的には不十分な戦略であった事になりました。親指と人差し指で測る限りでは、赤い色の本線の距離と殆ど変わらないはずでしたが、実際は5倍位あったように感じました。全く進まなかったのです。やむを得ません。自分に腹を立てるしかありませんでした。伊勢での待ち合わせに間に合うように気合を入れて歩くしかなかったのです。
途中自転車に乗ったおじさんに声を掛けられました。仕事に向かう途中のようで、中国を自転車で一人旅した体験や冒険について語ってくれました。彼は鍛え上げた身体つきで、幸福に満ちたエネルギッシュな感じがしました。私より年上の彼が走り去っていくと、私はこれからまだ永遠と続く道を歩かなければいけない置き去りにされた無気力な粉袋のような気分になりました。それでも地獄にいるかのように汗をかき、使れ果てた脚を引き換えに待ち合わせに間に合いました。なんという再会の喜びでしょうか。

そして翌日は私好みの一日になりました。オガさんとカズハさんは私を観光案内で楽しませてくれる計画を練っていました。伊勢には日本の中でも有名な神社である伊勢神宮があるので非常に相応しい場所でした。私はまたしても何もする必要がなく、沢山見て、勉強して、楽しむ事が出来ました。目を開けて、耳を澄まし、ただただ後を付いて歩くだけ。最高。二人に感謝します。

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伊勢神宮で観光

この素晴らしい日は、松坂で終わろうとしていました。そこで世界的にも有名な松坂牛をご馳走になりました。本当に美味しく、そして高く、(後日この事を話すと私は大金持ちと間違えられてしまいましたが、)レストランでこのように世話をされる素晴らしく新しい体験をする事が出来ました。このレストランでは自営の3000頭にも登る牧畜をしており、最高の肉の品質にする為に餌にビールを加えて、マッサージもしている事を知りました。私は通常ビールだけ頂きます。その分もっと長生きしています。

翌日、不本意にも、ある「侍祭り」に行く事になってしまいました。宿泊した旅館の主人が私にお弁当を作ってくれました、そして半強制的にこのお祭りを見るために急遽町の中心地まで乗せていってもらう事になりました。昼頃まで我慢できましたが、私にとって賑やか過ぎるのでこのドンチャン騒ぎから抜け出すことにしました。そして午後になってやっとまた歩き始めました。

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朝、侍祭りが始まる前

そして名張に到着して、ホテルを探しながら途方に暮れて周りを見渡していると、同年代の敏捷な女性が話しかけてきました。この人は常に「はい」としか答えない相手と話すのが慣れている感じがしました。後から判りましたが、やはり学校の先生でした。そしてその口調で観光案内を進められ、断る事も出来ず又しても観光をしてしまいました。本当はもう今日はホテルでゆっくり過ごすつもりでした。しかしこの観光も非常に良くて、この地域のキャベツの生産についてもいろいろ知る事が出来、酒蔵が一般開放していたので日本酒の製造方法も知る事が出来ました。その後は美術手工芸品市場に行きました。これは私にとって苦痛でした。芸術は授かり物で、手工芸は素晴らしいと思いますが、美術手工芸品はどうでしょう?この感覚を正してくれる人はいるのでしょうか。

後に橿原(かしはら)で橿原神宮と神武(じんむ)天皇御陵や綏靖(すいぜい)天皇陵を見学して一日を過ごしました。ここでも過去に訪れた同じような名所で感じたのですが、座るベンチが全くありません。非常に残念で失望しました。私は少しでも長くそこに滞在し、考え、後ろ向きに回想してみたいのです。しかし広々とした施設の作りはこのような見学を義務のような感じにさせ、決められた一方向にしか歩けないようになっています。

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和歌山行きの列車

和歌山までの最後の区間は列車を利用しました。それには二つの理由がありました。ひとつは橿原の滞在が長くなってしまった事です。そしてもうひとつは私の身体がトイレから30分以上離れる事が出来ない事態に陥ってしまった事です。
しかし列車の旅も悪くありません。私の向かいには二人の元気のいい鶏のように騒いでいる女子高生が座っていて、休みなく高い声で笑ったり話したりしておりました。このような事がドイツと同じように日本でもあるなんて本当におかしく思います。私は一言も判りませんでしたが、彼女たちは本当に面白くて笑いが伝染して一緒に笑ってしまいました。
横のシートを見ると6人並んで座っていて、前かがみに眠っていました。列車のリズムに合わせて皆首が動いておりました。これも面白い風景でしたが、少し情けない感じもしました。
今日は本州で最後の日です。明日フェリーで四国に渡ります。何が待っているか楽しみです。
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# by lothar_diary | 2007-02-05 12:06 | 東海
焼津から鳥羽(島田、掛川、磐田、湖西、田原、伊良湖岬経由)


富士山の美しさと雄大さはまだ脳裏にしっかり残っています。次の数日間、道中でその富士山に登ったか何度も聞かれました。以前はこの季節にはもう登らない方がいいと聞いていたので、今回このように聞かれるのは少し困惑してしまいました。多くの日本人は新年を富士山の頂上で迎えるために年末に登る事を知りました。私は年内にもう登らない方がいいという声に負けてしまいました。しかし自分で決断しなかった事に落胆しているだけでは駄目です。この二度とない体験を後から取り戻す新しい計画が浮上してきました。
相変わらず真夏の気温が続き、この旅の中間地点に差し掛かろうとしている最中、徐々に体力が落ちている事に気づきました。歩いている時は全く進まない感じがするようになりました。非常にだるい感じがしますが、それは感覚だけの話です。夜その日の歩いた距離を確認すると、それまで過去に歩いてきた一日の距離と同じ距離を歩いているのです。ここでまた“頭対脚”の戦いが始まらないといいのですが。

私の不安定な状態を保つのにあまり良くありませんでしたが、今までの道中で体験した中で一番酷い話が島田での体験でした。あるレストランでお昼を食べている時、近くに比較的若いアメリカ人女性が座っていました。出身地や英語教師である職業については、素晴らしい日本語でお店の人との会話の中から判りました。二人で私がどこから来たのか考えているみたいでした。だけど(勿論?)誰も私に話しかけてきません。会計を済ませて店を出ようとした時、私のリュックサックについているドイツの国旗を見て、彼女は私がドイツから来た事を説明していました。そして当たり前のように彼女は自分の知的な見解を付け加えました:ナチス。
私は通常自分に自信があり、多少不安定な状態であっても大体どのような状況でも冷静さを保つ事が出来ますので、この時も込み上げてくる唐突な吐き気を自制心でもっと抑え込みました。
私は引き返し、彼女に日本語で言いました:「はい、私はドイツ人です」と。
そして彼女のまぬけな顔は一日中私の頭から消えませんでした。


この区間のその後の出会いは長期的にも私の記憶に残るものとなりました。ホテルを探している最中、写真店を見つけました。その機会を利用して久々にカメラのデータをCDに移すことにしました。通常2-3時間掛かる作業の為、お店のカメラマンはその作業をスタッフに依頼し、その待っている間町の観光名所のガイドを申し出てくれました。このガイドの専門的な知識と根気強さによって私は日本の歴史についてたくさん勉強できました。別れた後、この二時間は二人にとって非常に視野を広げる為に有意義であった感じがしました。
その後の道中でもこの区間はいい出会いの区間になりそうでした。田原のホテルは私の歩くルートより少し離れていたので、ホテルの受付で道を確認しました。そこで受付の男性の方は、直接私を車でその場所まで連れて行ってくれました。このように毎日のように日本人の親切さに遭遇するのがこの旅の重要な視点でもあります。


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唐突に手芸品の祭りの際若い人達にコーヒーに誘われました



そして伊良湖岬に行く途中、今までにない新鮮な出会いがありました。今までの体験や不平さえも疑問視してしまいました。
今まではどこのレストランやカフェに入っても、空いていようが、混んでいようが、一人で座っていました。ここ伊良湖岬では、お昼を食べに少し早い時間にレストランに入りましたので、お店を一人で独占している状態でした。料理が出てきた時、次に日本人のお客が入ってきました。中を見渡し、私のところにやって来て、同席しても良いか聞いてきました!最初は信じられませんでした、聞き間違いかとも思いました。そして私の信用できない目つきと彼の解放的な雰囲気より素晴らしい会話の弾む昼食を取る事が出来ました。これは新鮮でそして素晴らしい体験にもなりました。

そして翌日鳥羽に向かう道中、この区間での一番面白い体験がありました。ホテルで朝食を取る事が出来ず、空腹の状態で朝出発しました。運良く、数キロ歩いたらレストランがありました。そこで朝食とコーヒーを頼みました。食べ終わってから2杯目のコーヒーをウェイトレスに頼みました。その時は私がまだ克服困難な形式的なハードルの「犠牲者」になる事を知る由もありませんでした。通常のやり方や形式を変えて柔軟に対応をしてもらえない事は良く経験してきました。本当に柔軟に対応できないのか、それとも私の不完全な語学力の問題なのか判りません。数分後私のコーヒーが来ました、そしてトレーの上にはもう一つの朝食が乗っていました。朝食とコーヒーを分けることが出来ないともう一度私は説明を受けました。
しょうがない、無いより二つあった方がいいので、しっかり食べてまた道中でどのような洞察と出会いがあるか楽しみにしながら出発しました。



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私にとって何度見ても不可思議に見えるのが手の凝った屋根の造りです。
ここのようにたくさんの神様で飾られたようなもの。


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ここの特産品でもあるキャベツ、はたして
このキャベツは食べられるのだろうか?
最後まで知る事は出来ませんでした。
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# by lothar_diary | 2007-01-25 00:29 | 東海
東京から焼津(藤沢、平塚、小田原、熱海、沼津、富士と清水経由)



 入国管理手続き関係で丸一日通やしてしまいましたので、更に一日東京にいる事になりました。しかし東京と私の相性はあまりよくありません。
昨夜は非常に落ち着きませんでした。寝床についても、いろいろなシーンや刺激や印象が私を襲い掛かってきます。目の前がちらちらして、30分置きに飛び起きてしまいます。
 
 せめてもここで余分に過ごしている時間を雑用で有効的に使う事が出来ました。郵便物を発送したり、写真をCDに焼き付けたり、家にハガキを送ったりして、私のことを優しく思い出してくれるでしょう。

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東京とお別れ

 カズハさんに地下鉄まで見送ってもらい、そこから私は東京を藤沢方面に向かって離れました。本日の役目はここで静かな場所を探して、リラックスしながらこの日を無駄に過ごす事です。ラッキーボーイの私はそれが達成できました。
港で海辺に座り込み、時間が無駄に過ぎていきました。


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いつも港に惹かれて行ってしまいます


 私はまた動き出しました。そして私の希望は 歩く 歩く 歩く・・・・・です。
これは言うより実行するのが大変です。翌朝歩き始めて300mの所にいきなりカフェがありました。この旅でこのような機会を簡単に見逃してはいけないと習得しましたので、中に入りました。

 年老いた女性が私に話しかけてきて1枚のビラを渡されました。しかし私は彼女が何を言っているのか、またビラに何を書いてあるのかも判りませんでした。何か特別な「力」について話している事だけ判りました。英語の「パワー」という言葉だけが通じ、同時に私の背中に手を当ててきました。
 しかし何故多くの人が、私が背中に痛みを抱えているのが判るのでしょう?彼女は私の頭に手を置くことも出来たでしょう。でも今は体調が良く彼女のお世話になる事は必要ありませんでした。その代わりではないのですが、ビラが入っているバックを持ってあげようとしましたが、断られましたので、そこで分かれることにしました。


 次の日は、幸運と不幸が如何に近くに存在しているかを実感しました。またしても非常に日差しの強い日で、休む事が殆ど出来ませんでした。そしてローソンで私のパラダイスを見つけたと思いました。この旅を始めてから初めて正しい道路側にありました、すなわち影がある道路側で、余計な事にベンチまで置いてありました。素晴らしい!だけどこの幸運は長く続かない物でした。ベンチで昼食を食べ始めようとした時、小さいトラックがバックで目の前に駐車して、排気口の中が覗けました。排気ガスの中に座っている事になってしまいました。どうぞ美味しく召し上がれ!
仕方なく冷めたソーセージを別のところで食べる事にしました。この国ではエンジンをつけたまま駐車するのは非常に拡がっています。

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どんなファーストフードよりも良い


 翌日またあの気分が私を襲い掛かってきました。何が原因なのか私も解りません。素晴らしい二日間が過ぎた後の落ち込みです。もう歩きたくない、歩けない、やめたい。空っぽで疲れた、家に帰りたい。今度は本当にひどいので家に電話してしまいます。勿論どうするかは自分で決めるように言われますが、結論を出すまでにしっかり時間を掛けて考えるように進められました。結局何日も考えるのであれば、ここに残っていても同じ事ではありませんか。まだそのような事を言われた反抗心の方がギブアップして家に帰りたいと弱音を吐いている自分より強かったのです。ここに長くいればいるほど疎外感に駆られてしまっている感じがします。この気持ちは一度始まると何日も続いてしまう事が多いです。しかしどうする事も出来ません。ゴールしたければ続けて歩くしかないのです。



 熱海のマリーナで休んでいる時、突然日本人に素晴らしいドイツ語で話しかけられ、写真を撮ってもらうことになりました。写真を撮ってもらうことはそれ程大事ではなかったのですが、それ以上にドイツ語で目の前の人と話が出来るという事が非常に精神的に良かったのです。
この関連で思い出しましたが、全ての会話や頭の中の回想も、全部英語でするようになっていました。英語で考えたり又は暗算をする時、時々自分に「ドイツ語でやったら?その方が簡単だよ」とはっきり言いたくなります。だけどまた何故か短時間で英語に戻ってしまいます。

 この言葉の関連で、ちょっと面白いエピソードがありました。沼津のホテルの受付の方々は次の富士での宿泊先を探してくれていました。ホテルを一つ見つけては、すぐに満杯と聞きます。それはしょうがないので、私は英語で「アナザー・ワン」(他のを)とお願いしました。そうしたらかなり探した後に、私にホテル名を間違いたのではないかと言って来ました。富士には「AnotherOne(アナザー・ワン)」というホテルはありません。ホテル名を書いてくださいと頼まれました。さてこのような時は一体どう反応すればいいのでしょうか?
私は仕方なく寛大な素振りをして紹介してもらう事にしました。5分で予約は完了しました。


霧雨と霧の中富士に到着しました。ホテルの受付で開口一番に「一体[あれ]はどこにあるのですか?」と聞いたところ、肩をすくめて霧の中を指差されました。残念でした。

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後から知りましたが、富士山は恥ずかしがりで偶にしか姿を見せてくれない


 翌朝6時15分に眼が覚めました。私はカーテンを開けて寝る習慣がありますので、起きて突然富士山が見えました。立派で素晴らしく、魅力的で綺麗でした。まだ少し霧が掛かっていて、厚い雲が頂上に乗っていました。でも私は観ることが出来ただけでも嬉しく有難く思います。そして7時に目覚ましが鳴りました。その時はまた霧で覆われて全く見えなくなってしまいました。しかし神様は見捨てていませんでした。朝食後また歩き始めた時、素晴らしい秋晴れの中、富士山が私に微笑んでくれました。これは説明しづらいですが、息を止める程の興奮を感じました。残念ですが今年はもう頂上を目指す事は出来ません。多くの人にこの晩い季節に登山をするのは危険である事を聞きましたので、諦めました。私はここの環境があまり判らないので、勿論アドバイスに従う事にしました。



そしてここでまた自分自身の事で一言。
読者の皆さんよりお便りを沢山頂いております。その中に批判的な物もあり、特に掲載の定期性についての批判もあります。私は夜、疲労で書く事も出来ない日が多くあります。是非気長に待って頂きたいと思います。そして区間説明の長さについても同様な事が言えます。更にもう一つの理由が加わりました。それは沢山の応援メッセージに後押しされて、私はこの旅を一冊の本にまとめる事を致します。興味のある方はもうしばらく楽しみに待っていて下さい。そして批判的な方もそれで満足して頂けるのではないでしょうか。インターネットから本に切り替えるだけです。そこには事細かく書いていきます。
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# by lothar_diary | 2006-12-14 19:04 | 関東
日立から東京まで(ひたちなか、水戸、石岡、土浦、取手、柏経由)



今回は私が一番多く聞かれる事について答える事で始めたいと思います。
つまり私は日本食が大丈夫かという質問です。オガさんとカズハさんが水戸に会いに来てくれた時の最初の挨拶も
「やあ、少し太ったんじゃないの?」でした。
本当に?
夜一人で部屋にいる時、鏡をそおっと覗いてみました。そうかもしれません。少しだけ。
とにかく日本食はとてもおいしく頂いています。
私は食べ物にうるさい人間のタイプではありません。殆どのものは食べれます、そして私は毎
日食べる事が出来るということが当たり前になっている所に生まれて生活できるのは幸福だと
思っております。
それでも旅の前はもちろん少し懐疑的でしたので、数キロは落ちると思っていました。
しかしその全く反対の事が起きてしまっています。体重が増えているのです。ズボンがピッタリになりました。
私の好きな食べ物は刺身(生魚)です。
今となって知ったのですが、私だけではなく多くの欧州の人と同じでした。
つまり、手をつけなくなったのは納豆と豆腐です。
両方とも何回か試した事がありますが、納豆(独特な粘り気のある豆)、
良く判りませんが、好きになれません。
豆腐があまり好きではないのは、大きな「無」を食べているような感じがするからです。
そして沢山美味しいものが私に微笑んでいるのに、何故そのような物を食べなくてはいけないのでしょうか。
ドイツに日本食レストランが少ないのが信じがたいです。本当においしいのに!


今回の区間の題名として「回復の区間」や「透明になる区間」を考えていました。
それはまずひとつは、肉体的な状態が非常に良くなったからです。あまり汗をかく事もなく、
皮膚も眼も良くなり、頭痛も殆ど消えました。ほぼ毎日のように日記に記す事が出来ます:
「肉体的に好調」と。
そしてもうひとつは、この区間ではあまり出会いがなく、しつこく見られることもなく又は
逃げられる事もありませんでした。ちょっと残念です。
それでもいい体験もありました。

ひたちなかでは、あちこちぶらつき歩いた後あるカフェに入りました。そこで同年代の男性に話
しかけられました。お客は我々だけでしたので愉快な会話が出来ました。彼は才能がある趣味
で弾いているギタリストで、準備なしで「リリーマレーン」(ドイツの昔の有名な曲)を弾いてくれま
した。私は非常に感銘を受けました。想い出の映像を取る為に2曲目をお願いしたところ、本物
のフラメンコを弾いてくれました。
ヨーロッパは遠く離れているのに。


次の日、水戸までの距離があまりないので、リュックサックを閉まって、観光ツアーに出かけま
した。まず駅前広場でウロウロして、非常に目立つ「ヤンキー」に驚きました。さすがにもう私の
世界ではありません。でも30歳若ければもしかして・・・
時間が経つのは早いものですね。まだ私は若者に道端で「おじいさん」とは呼ばれてません。
オガさんに日本語で「おじいさん」はなんて言うのか聞いて見なければ。



そして私のホテルの場所を探して周りの道と地図を交互に眺めている時に、[excuse me]
「すいません」と誰かがぶつかってきました。やった!彼らが見つけてくれました。
オガさんとカズハさんが来てくれて、一緒に素晴らしい二日間を過ごす事が出来ました。
なんて楽しむ事が出来たでしょう。私は何もせず、何も考えず、何も計画しなくてよかったのです。
見て、後を着いていくだけです。なんと素晴らしいことでしょう!
また別れる時は前回程の孤独感にはかられませんでした。
私の「祝杯」での再会が間近に迫っていますから。


そして取手への道中、いくつかの素晴らしい写真が撮れました。相当前から日光浴を楽しむ虫を見てきました。
いつも近づくチャンスがありませんでした。本当になかったのです。
けれども私は簡単に諦めませんでした。だけどいつかは諦めて忘れようとしていました。
シーズンはもう過ぎました、と。
そして偶然にも休息を取っている時、私の真横で、暴れている幼虫を食べているではありませんか。これもまた恵みです。
写真好きな人には判って頂けると思います。
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写真家の心が躍る

そして突然東京まであと25キロ。
突然どうしていいのか判らなくなってしまいました。歩くのか、電車に乗るのか?
長い間、歩くべきか考えましたがどんどん不安になってきました、街の密集地は苦手です。
もう既に25キロ前、自分ではついていけない速さで動いている大画面の前に立っている気分でした。
本当に神経の負担になりそうです。故郷の土手では一匹の羊に会うかもしれませんが、人口4千万人
の地域は私にとって多すぎます。
長い葛藤の末、結局電車に乗ることにしました。
上野行きの列車に乗り、そこから地下鉄で都心に向かいました。
簡単に聞こえますが、私にとって全くそうではありませんでした。
フーズムからシュレスヴィクの田舎の路線バスに正しく乗るだけでも大変な事なのです。
最初に入ってきた列車にはあえて乗りませんでした。まだこの混乱に身をさらしたくなかったのです。
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そして次の列車も乗りませんでした。そしてまずコーヒーを飲みに行きました。
そこのテーブルに「Who are you today?」(今日はあなたは誰ですか?)
と書いてありました。私は判りません。
トイレに行って鏡を覗いてくればいいのでしょうか、いや違う、そうではない、もう戻れません、
カズハさんに到着時間を伝えてありますので列車に乗らなければなりません。
そして想像どおり満員です。つまずいたり、押したり、隙間に押し込んだりして30分間乗っていました。
それから地下鉄への乗り換え。これは列車よりも数乗の倍数の大変さです。
私には勿論乗り込むための才能もありません、だけど最後には乗れました。
とにかく中に乗ることが出来ました。だけどリュックサックのベルトがドアに挟まれて
外側に取り残されてしまいました。
その後反対側のドアしか開かない駅が続くのにつれて徐々に心配になってきました。
自分の財産をどのように守るか短時間でいくつも不思議な考えが浮かんできましたが、説明致しましょうか?
でも地下鉄にも神様がいますので、どうにか自分と荷物を陽が当たる場所に救出することが
出来ました(勿論駅を通って出口から出ました!)。
東京を経験した方は、私のゲストブックに「すばらしい!」と記帳してください。

次の日は休息日です。ただ滞在許可を延長する為に入国管理局に街の反対側まで行かなけ
ればならないのが唯一の制限でした。

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あなたは今日は誰ですか?

これを済ました後はどんな優しい鏡に覗いても答えは見つからない。
だけど、東京に来ました。祝杯だ!

この場を借りてお礼を申し上げたいと思います。特に私のゲストブックに書き込んで頂いた方々には
モチベーションと力を与えて頂きました。インターネットカフェを見つけることが出来れば、
そこで優しいコメントを読むことで、本当にまい進する事が出来ました。有難うございました。
皆さんは誰か判ると思いますが、会えなくて残念な人もいます。



将来的に私のウェブサイトを自分の公開討論の場として利用したいと思っています。
勿論更なる次の旅も計画中です(もう既にしてます、うちで待っている最愛の人よ)。
まだ私の中の地図には空白が多いのです。この関連で、もう充分沢山の汗を掻きましたので、
昔抱いていたアイディアがまた浮かび上がってきました。
空白の「白」という言葉通り:これを読んでいる方でアルプスや北極南極等の経験者は?
この方面に是非二人で旅をしてみたいです。
私が提供できるのは:そこそこの粘り強さ、持久力とスイスの4100m級の征服経験です。
いい交流になると思いますのでどなたか宜しくお願いいたします。

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ヘミングウェイのように「老人と海」
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# by lothar_diary | 2006-11-15 23:35 | 関東
原町から日立(浪江、富岡、いわき、小名浜、なこそ、高萩経由)
この区間は私の肉体にとって今までで最悪のものでした。私の身体の状態は歩く気持ちとは裏腹に、急激に悪化していくばかりです。もしかしたら歩く野心を過信してしまったのか、又は何かに感染したように思います。良く判りません。少し動くだけで異常な汗を掻き、時には30分間隔で休みながら下着を乾かす程でした。更に皮膚が赤くなり、眼もどす黒く潤んで濁っていました。視界が狭まり、頭痛がしました。最初は心配になり、コーヒー、お茶や熱いスープを飲むのを止めました。暖かいものを口にする度に、何時間も汗を掻いてしまうので、氷水に変えることにしました。今の症状を家に連絡しようか悩みました。しかし余分な心配を掛けるだけですし、返事が来るまでにまた元気になっているかもしれませんので諦めました。
このような状態で歩くのは全く面白くありませんが、大きな喜びが私を駆り立てています。本当に不思議です。

富岡のホテルに到着した時は、冷たいシャワーとベッドだけが欲しくなりました。だけど今はそれを諦める事にしました。それは部屋に入ると、想像できる限りの最高の眺めが目の前に広がっていたからです。300m先には太平洋があり、まるで天国のようで、いつまで見てても飽きないくらいでした。窓を開け、カーテンを開け、椅子を窓の横に置いて、この状態で何時間も座って、聞いて、見て、海の香りを嗅ぐ事が出来ました。
富岡は夢のような町ではないでしょうか。大海の前の大きな町、その前に列車の線路。ここを通り過ぎる郷愁、幾つもの別れの涙や遥かな所への憧れ。富岡は涙の町ではないでしょうか。いくら見ても飽きが来ません。
薄暗くなってきてからやっと書き始めたくなりました。しかし夜の海に航路標識等が見え、幾度も回ってくる灯台の灯火を数え、遥か地平線の船舶が南や北に向かい、緑や赤色が見えてきました。
どうしましょう、富岡は本当に涙の町です、私にとってもそうなりそうです。
今すぐにでも家に電話をして聞いてみたくなりました。「再来年既に予定ある?」って。

いわき市に到着した時はびしょ濡れでした。チェックインするまでに少し時間が空きましたのでショッピングセンターに向かい身体を乾かしました。隅のベンチに座っていると、また見せ物になってしまいました。皆こちらを向きますが、誰も見ていない振りをします。今は疲労が酷いので、この位の事ではまだ逃げる気にはなりませんでした。それが良かったのです。二人のおばあちゃんが私の横に座り、全く物怖じする事無く挨拶をしてきました。

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私は(後から聞きましたが81歳の)年上の方のおばあちゃんがいかに早く3本のタバコを吸っていたかを見ていて、感激のあまり笑ってしまいました。

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それだけでもう楽しい会話が始まりました。我々どちらも相手が何を言っているのか判らず、混乱した30分が過ぎていきました。二人のおばあさんは買い物に行くので、別れる前にこれからの為にと、お弁当を買ってくれました。

このお弁当は勿論翌日なこそに向かう途中、喜んで頂きました。しかし疲れきった身体は精神にも影響し、今している事全てを疑問視し始めました。
更に全く違う反応をする人達が気になっていました。昨日のような優しい素直なおばあさん達に対して、今日はカフェで横のテーブルに私が座ると席を移動してしまったおばさんがいました。このような時の気分は最悪です。孤独感に襲われ、全てやっている事が馬鹿げて感じてしまい、止めようもないホームシックに掛かってしまいます。もし今チケットが手元にあれば・・・・。このような事態を想像していました。私のチケットは東京のオガさんの所にあります。これで良いのです。
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緑、静寂と自然への渇望


この区間の最終日は日立までです。またしても台風の影響を受けてしまいました。雨が降って荒れていましたので、今日私を待ち受けているものが想像つきました。帽子を被り、雨具を着て、フードを鼻の所まで引っ張り、いざ出発。

最初の30分で足が濡れました。ウォータープルーフ(防水)と書いてあっても、必ず足が濡れないとは限りません。またゴアテックス(防水加工の代名詞)と書いてあるタックがあっても、内容は保証されていません。そして雨具は45分持ちましたが、雨を吸い込むので雨具というのでしょう。やっと判りました。びしょ濡れですが、そのように思うと非常に気楽に歩けました。
幸い自分自身は節穴がないので安心ですが、一部の読者はそうではないと思う人もいるのではないでしょうか。

日立のホテルに到着した否や、受付でまずタオルと宿泊の料金表を非常に丁寧な感じで受け取りました。隣にいたピンストライプのスーツを着た3人のビジネスマンと私は同じ扱いをして頂きました。彼らは私を見えておりませんでした。

その後アジア風のペアが受付にやってきて、私と同じような言葉の障害がありました。私と同じように、小さな絵を書きながらインターナショナルな言葉や動作で意思の疎通を図っていました。

困惑のあまり、受付の人が私に中国語が話せるか聞いてきました。
これは愉快だ!世の中いろいろありますね!!

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# by lothar_diary | 2006-11-12 19:57 | 東海
古河から原町まで  (大和、仙台、岩沼、相馬経由)


バックパックが軽くなって、今度こそ時間的にも距離的にも長く歩きたい気持ち
はあったのに、この行程は今までで最も大変で退屈で辛かったのです。
その上歩いた距離は最短ともいえるものでした。
なぜかはわからないのですが、体調がベストではありませんでした。
たぶん体に過分なストレスが掛かっていたのでしょう。
両脚が元気な状態にあることはとても重要です。そのことをこれからの7日間で
再び思い知るのです。エンジンは掛からずリズムも掴めません。一般的に言えば
私はもう“年老いたベッド難民”で、眠るということ自体が楽しみなだけでなく、
翌日早起きして一杯のコーヒーを飲むことを楽しみに眠りにつくのです。
最愛のヒトも(軽く目をばちくりして)証明してくれるに違いありません。
でも今週はそうは行かないのです。グダグダと先延ばしにしてあと30分、あとも
う少しと横になったまま眠りません。

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あとほんの15分だけ・・

今週は日本という国を「日の昇る国」「笑顔の国」というだけではなく
「放浪者が座る場所の無い国」と定義したいと思います。
時には3、4時間もの間、ほんのわずかに腰掛けるチャンスもなく歩き続けました。
贅沢なことを望んだわけではありません。駐車場の片隅に捨て置かれたレン
ガでも良かったのです。
休憩が必要なときにそれが許されないというのはとても辛いものです。一度私は
座る場所を得るという幸運をあたえられ、そこから素敵な出会いと素晴らしい出
来事がおこりました。
20メートル四方くらいの公園のようなところで1人の年配の女性と彼女の飼い犬
と一緒になりました。そこに入るときに挨拶して、また出るときにお互いにお別
れの挨拶をしました。すると彼女はバックパックに付けた日本とドイツの2つの
国旗を目にしたに違いなく、私の方にやってきたのです。

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彼女はとても上手に英語を話し、友人がドイツに居ると言い、彼女の家でコー
ヒーをご馳走したいと招待してくれました。とても親切な女性との、そして歴史
を刻んだ古くて厚いアルバムとの信じられないような出会いだったのです。彼女
は世界中で色々なことを見ており、イタリアで11年間彫刻を学んだそうです。
私は日記に私のカミーユ・クロデールを見つけたと記しました。
私は今また、何のために旅をしているのかがわかりました。
数日ここで過ごすこともできたのですが、これからも続く長い道のりを思うと、
心残りではありますがそうもいきません。

今また交通量の激しさに随分と参っています。たぶん体が少しばかり弱ってるの
でしょう。
夕方ホテルで、レセプションの女性がどうやって我慢できるのかと聞いてきたの
で、午後を回った頃まではなんとかなっていたのだけれど、それからは大変で、
時にはどうにもならないくらいだったと正直に答えると、彼女は笑顔で、ここで
生まれた者ならもう少し耐えられると言っていました。

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ワッデン海が恋しい

この技術大国の軽い不快さの中でも息継ぎしなければなりません。“けっして目
を離さないよ!日記用カメラ”の他に、旅行の始めに大容量メモリの小さなビデ
オカメラを、ちょっとしたビデオ撮影用に1台買いました。それだけ容量があっ
てもメモリが一杯になってしまったら写真屋に寄ってDVDにコピーしてもらえば
引き続き撮影できるのです・・がそうじゃないのです。私が通ってきた道程には
それが出来る写真屋は1件もありませんでした。一体どういうことなんでしょ
う。この4週間のあいだ1度もうまくいきません。自分が悪いのでしょうか。
何を間違えたのでしょうか。
日本の読者の皆さん、私にアドバイスしてくれませんか?

仙台では予定していた休息日をとりました。
遅い起床、おいしい朝食、一日中メインストリートから離れてぶらぶらと、趣を
味わい、写真を撮る。
気分が良くなって、翌日もまた機嫌よく岩沼に到着しました。早めに着いたので
もう一度のんびりと観光しました。夜中にバラバラと降る雨音と呻るような風音
で目を覚ますと、外は土砂降りのものすごい嵐だったのです。
でもそんなに困ったことだとは思いませんでした。これが7、8時間もすればま
た好天になるということを先週の経験から知っていたからです。だから今回もそ
うなるだろうと思っていたのですが・・。
目覚まし時計が鳴ったとき、さらに強風豪雨になっていました。そしてこの地獄
のような嵐の中出発して駅の前まで来たのは30分後でした。びしょ濡れになって
凍えてきたので、何とかしなければと考え次の行程は列車で行くことに決めたの
です。だというのに駅の切符売り場の駅員さんは指でバツ印です。なんとこの天
候で運休。
今私は台風圏にいるのだと教えてもらいました。
つまり岩沼で又休息日をとることになったのです。

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でも翌朝は静けさを取り戻しており、風があるもののこぬか雨のなか原町まで歩
きました。
行程半ばに来たあたりで、道沿いについにベンチなるものを見つけ、そこで少し
ばかり休みました。風と雨でくたびれ、そこに腰掛、半分柔らかくなったチョコ
レートを口にしたところでふと気づいたのです。今晩シャツを洗濯しなければな
らないということを・・・。
少し侘しさを感じました。一体ここで私は何をしているのだろう?
もうすぐ50歳になろうというのに。
たいてい私くらいの年齢の男性は趣味を”スポーツ“だと言い、キャンプ場で膝

上に孫を抱っこしてたりするのです。
そんなに幸先悪いわけでありませんが、フム、だけど今までの数週間で経験した
100の体験を思い出し、またまだ旅程の半分にも来ていないということも思い出
しました。
これから起こることを想像するとワクワクします。
だけどこのチョコレートの味もそんなに悪くはないな。

追伸:
それにしても座れる場所はだいたいにおいてナカナカのものです。
このホテルでは海の見えるところです。

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# by lothar_diary | 2006-10-31 23:09 | 東北
盛岡から古河へ

紫波、花巻、北上、水沢、一関そして栗原へ

朝起きてみると私の調子は悪く、気分も悪かった。
私は北ドイツから来ているので、十分な休息が必要になります。
夜は大きな棺のような部屋で寝ていたのですが、よく眠れなくて、
夜中にトイレに行く時にドアの敷居に躓き、転んでしまいました。
幸いな事に私の部屋はとても小さかったので、完全に倒れることは
無かったんですけど。
頭に瘤一つと、片手の小指を挫いただけで済みました。
その小指はビール瓶を開けるには支障が無いようです。

今朝は朝食を食べる気分ではありませんでした。
確かにいらないと言うにはもったいない程おいしそうでしたが、
自動販売機のコーヒーを2杯飲むことにしました。
それかあるいは、またしても私は一人でテーブルに着かなくてはならないのです。
他のテーブルはどこも4~5人は席に着いているのに。
私はそれをとっくに承知していますが、今日はそんな気分になれないのです。
時として私は立ち上がってこう言いたいのです。
「私はただの西洋人です。特に皆さんと違いは有りません。
 まあ確かに私はちょっと変わっているけど、害は無いよ!」
しかし残念な事に、私の日本語はそこまでには達していません。

それからまた私の旅は始まりました。
今日は特に何も見たいとは思いませんでした。
目を閉じ、感覚を遮断し、何も気にせずささ~っと紫波のホテル直行しよう。
ドアを閉めたら、まずはビールを。
少なくとも一本、出来れば2本!
しかしながら全く予想外な展開になったのです。
泊まる予定のホテルからおよそ2キロメートル辺りの所で、一人の男性が
私に話しかけ、スズキミノルですと名乗り、私に彼の車に一緒に乗らないかと
誘ってくれたのです。
でも私はそうしたくなかったのです。
私は歩きたいのです。私のこの気持ちは彼には信じられないかもしれない。
世の中には車で走るよりも、歩く方が好きな変わり者がいるなんて。
一生懸命説明しようとしたのですが、諦めて車に乗ることにしました。
私たちは彼の友達であるチダヒロシさんのところへ向かいました。
それから3人連れで観光する事になったのですが、そのまえに英語を上手に
話すマリーキクチさんの家に寄りました。そして彼女は私にこう説明してくれました。
「二人はただあなたに何か良い事をしてあげたいだけなのよ」

今日の観光ツアーのガイドをしてくれた二人です。
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観光の後で、私たちはさらにプールに向かいました。その後まだまだ
ホテルには向かわなかった。
私はさらに食事に招待されたのです。ビールとお酒でそれはもう、大賑わい。
私はほとんどテーブルの上で寝てしまいそうになっていました。
それから私の旅行の話になり、チダ氏がすぐ新聞社に電話を掛け、記者を待つ
ことになりました。記者の方とは言葉による意思疎通に問題があったため、
私たちはさらにキクチ氏を待たねばなりませんでした。
そして遂にインタビューを終えました。
私はすでに柔らか~いベッドを思い浮かべていました、、、。
まだでした。
ガイドをしてくれた二人の友達で、私たちと一緒に飲んでいた方が、
カラオケバーに招待してくれたのです。
そしてオーストリア出身でここで働いているウォーレ氏と一緒に歌を歌いました。
彼は私達のグループに加わり、私にドイツ語を話す機会をくれました。
そして歌っちゃったのです、NENAの歌を。
かなりのビールとお酒を飲んだのち、ようやくベッドに入りました。
私は今日の観光をしている間に、スズキ氏と共に明日の観光コースの事も考えて
いました。
10時にスズキ氏はモリチハルさんと共に私を迎えにきてくれ、私達は素敵な一日を
過ごしました。モリさんは私達の通訳をしてくれました。

この着物を着て写真を撮ったとき、実はものすごい頭痛がしていたんだけど。
そんな風にはみえないでしょ。
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私がとても楽しんだお茶会。とても落ち着いていた。
素晴らしい経験でした。
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次の日は休息の日!これは自分へのご褒美。

再び私は歩きたくなった。 長く、ゆっくりとそして遠くへ。
私はバックパックの中身について考え直す事にしました。

私は残りのティッシュ、Tシャツ1枚、シャンプー(お得なファミリー用)、
髭剃り、そして下痢と便秘の薬を御役御免にしました。

私は”幸福感”意外は、必要最小限しか持たないことにしました。
幸福感という言葉では今の私の気持ちを表すには十分ではないかな。
この事についてはよく聞かれます。
いつでも私は、「そうだ!私は天国にいるんだ!」という心の底から確信した気持ちと、
「なんで誰もこの地獄から助けてくれないんだ!」という終わりの時を願うツライ気持ち
との間で揺れ動いています。
この二つの気持ちの間を私は歩き始めた日から揺れています。
ある時は5分周期で、ある時は一日ごとに。
それはいつもツライし、疲れる。この気分は3つのことから成り立っているんです。
私と密接に関わりがある事なので、うまくやっていくのが難しいのです。

一つ目はとても元気すぎる田舎を歩く一人の旅行者として、
道路の交通やそれに伴う騒音。
二つ目はこの天気。とにかく暑すぎるんです、私には。
オーロラが恋しくなります。
三つ目は言葉が話せない事による孤独感。
これが最も厄介です。一人の私を取り囲む人の数で強調されるような孤独感。
この三つの事柄には順位はありません。
例えば時には、孤独感が最悪な物となり、5分後には交通騒音がそれになり、
すると孤独感は忘れてしまっていたり、、、そんな感じ。

これが私が毎日置かれている状態であり、毎日繰り返されています。
とても疲れた状態であることに違いありません。

では何故、歩いて旅をするのか、、、
それは細かい小さな事柄に気づく事が出来るからです。
毎日その日の目的地に向かう途中、体力が無くなれば無くなる程、
自分の周りに起きている事柄に対して、より敏感に感じられるのです。
私はゆっくりと歩くことによってだけでなく、そうした細やかな感覚によって、
より多くのことを体験出来るだろうと思っています。
ポジティブにもネガティブにも。
私はこれが好きなんだ! いや、嫌いだ。 いや、好きだ。 う~ん、でも、、
これを読んでいる方で、私と交代したい方はいませんか?

私のような北ヨーロッパから来た者のとってめずらしい光景を
紹介します。
ここでは私はほとんど泥棒同然ですね。
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# by lothar_diary | 2006-10-27 00:53 | 東北